菊谷 なつき氏 イギリスで大好きな日本酒を広める女性起業家

菊谷なつき氏

【プロフィール】
秋田県出身、1982年生まれ。秋田で360年以上酒造業を営む蔵元の家系に生まれる。アメリカの大学を卒業後、コンサルティング会社に2年半勤め、2009年に酒の道に進むことを決めて同社を退社。同年に渡英し、現地の高級日本料理レストランZUMAのソムリエとして勤務。2013年にイギリスで起業を決意し、Museum of Sakeを立ち上げる。現在は日本酒普及のためのプロモーション活動と教育活動を行っている。

 

 

日本酒の世界に引き込まれる

(実家は代々続く日本酒の蔵元でした。)

大学時代は全くお酒と関係ないことをしていましたし、コンサル会社を辞める時までは日本酒がいくら自分のルーツだったとしてもそれに携わる、ましてや仕事にするなんて考えたこともなかったです。両親からは後を継ぐことを強制されず、「何でもやりたいことをやりなさい。」と育ててもらいました。おかげでドキュメンタリー映画を作ったり、政治の勉強をしたり、バックパック旅行をやったり、コンサル会社に勤めたりと様々なことをやってきました。

お酒の業界に飛び込んだのは祖父の縁で、いざ飛び込んだ時はとても感激しました。日本を凝縮したような飲み物で、その土地その土地の景色や歴史あふれる飲み物で、多くの人の愛情がこもっていることを知りました。日本のものづくり精神がすごく表れていて、1本のお酒を造る行程を見ていて本当にすごいと思いました。

蔵元の歴史を見ていても、300年400年500年と代々バトンを渡し続けていて、鳥肌が立つような世界です。こうしたコミュニティにはずっと大切に守ってきたことや家族の強いつながりがあり、そのことがすごく自分の中で近く感じるようになりました。自分の家族ではないけれど全員が家族のように思えてきて、このコミュニティを守っていきたいという気持ちになりました。

 

ロンドンの生活で何か達成してから帰りなさい

ふとしたきっかけから日本酒に興味を抱き、コンサル会社を辞めて酒の世界に飛び込みました。酒屋で働きながら利き酒師検定も取り、いよいよ秋田に戻って実家の蔵で働こうと思っていました。

しかし、海外で日本酒を広める事にも実は興味がありました。アメリカの大学に行っていた時、日本食がすごく浸透していて当たり前のように日本酒が飲まれている姿を見ていました。アメリカは日本酒が流通額、流通量ともに最多の国なのですが、その一方で、市場が沿岸の大都市圏に集中している現状や、認知度は高いものの、まだまだ一般層の方々の理解が浅い、または間違ったイメージが横行している状況があります。

そこで、日本酒が今後売れる可能性があり、ワインを始め様々な世界基準を定めてきたイギリスでチャレンジしてみてはと思いました。早速Googleで「ロンドン 日本酒」と調べたところ高級日本食レストランZUMAが上がり、履歴書を送ったらなんと合格。こうして勢いばかりでイギリスに来てしまったので、正直、定まった目標も強い意志も最初はあまりない状態でした。

それでも1年半くらい働き、ある程度全体の流れがわかったのでいざ辞めたいという話を上司にした時です。「今戻ったらなつきのロンドン生活は後悔だけに終わる。ロンドンの生活で何か達成したと思えてから帰りなさい。」と言われて、そこから自分に火が付きました。

滞在を延長する代わりにROKAというもう一つのレストランでヘッドサケソムリエをやれるというオファーをいただき、その時から「どうしたら日本酒が売れるだろう?」「どうやったら飲んでもらえるだろう?」と日々考えるようになりました。お客様のニーズに合わせて趣向を凝らしたメニューを作ったり、フロアスタッフやバーテンダー、ワインソムリエ対象にインハウス・トレーニングをしたり、色んなプロモーション施策を工夫してやり始めました。すると1年でROKAの日本酒の売り上げが倍になりました。そこでやればできるのだなと思いました。

 

酒コミュニケーションをいかに作るか

ROKAの2店舗を見るようになり、2店舗分のメニュー作り、トレーニング、フロアサービスを担当するようになりました。片方ずつの出勤になり、1店舗に週の半分しかいない状態でどのように日本酒を効果的に売るかと考えると、私ではなくてそこにいる他のスタッフの人に売ってもらわなければいけません。

スタッフにどうやったら売ってもらえるか、お客様がメニューを見ただけでどうしたら飲みたいと思ってもらえるか、バーテンダーやワインソムリエの人達に自分の勧めるカクテルやワインと共にいかに日本酒を勧めてもらう状態を作れるか、様々なアイデアをマネージャー陣やシェフを含めて考えました。すごくいいお酒を売ったスタッフや、定期的に日本酒を売ってくれるスタッフにと全員の前で賞品を渡し表彰したりしました。

スタッフの「日本酒は売れる!」という自信、「日本酒はおいしい」!という想い、それらがそのままお客様に伝わります。「私はこの酒が好きなんです!」とスタッフから自信を持ってお客様に話してもらうと、「飲んでみたい。あなたのお勧めを試してみたい。」となります。それで気に入って頂いたらお客様からの満足度もチップも増えるという彼らにとってのメリットもあります。こうしたコミュニケーションをいかに増やせるか、それが大事なことだと思いました。

人にいかに熱を伝えて、それを伝線させるかです。これはお客様同士にも言えます。隣のお客様が「おいしい!」と飲んでいたら、隣のお客様も興味を持ち、「一杯自分達のボトルから分けてあげて!」とお客様同士でのコミュニケーションに発展することが多々あります。そういうお客様は次回いらした際も日本酒を頼んでくれます。最初は恐る恐る飲んでいた人も、「今日のお勧めは何かしら?」とか「全部のコースに合わせて日本酒を出して欲しい。」とか、従業員を信頼して日本酒を頼んでくれるようになります。非常に地道ですが、それがすごく日本酒販売につながるというのを感じました。

 

酒の伝道師になるという決意

ソムリエをやっていた時、自社の日本酒を売りたい熱心な蔵元様がいて、様々な日本酒を楽しんで飲みたいという熱心なお客様がいて、そんな中、その間をつなぐ人があまりにも少ないと感じていました。「海外で日本酒は難しい。」と言われていたけれど、ただこのつなぎ手がいないだけで需要はあると思いました。

ROKAで3年程勤めた頃、このままこの仕事を続けるのもいいけれどもう少し大きなレベルで、ロンドン全体で日本酒啓蒙ができるような仕事をやれないかなと考えるようになりました。そこで様々なアプローチ方法を考える中で今のビジネスモデルに行き着き、つなぎ手として日本と英国をつなぐ役割のエージェントMuseum of Sakeを立ち上げました。

ROKAに勤務しながら、相談してパートタイムにしてもらい、半分の時間を使わせてもらって活動を始めました。そして、2013年の1月にROKAを正式に辞めて、2月から今の事業にフルで移行しました。

 

Museum of Sakeの事業内容

半分がPR、半分が教育事業です。

PR事業は日本の蔵元様や現地のディストリビューターとパートナーシップを組んで、彼らのブランドをこちらの小売店・飲食店などで買ってもらえるようにプロモーションをする活動です。単純なオンリストだけではなく、飲食店と一緒にコラボレーションをして日本酒の試飲会を行ったり、全国各地の伝統工芸メーカー様や食材生産者様との共同イベントや、日本酒には全くなじみのない英国料理やインド料理等と日本酒のペアリングを楽しんでもらうディナーイベント等も企画しています。日本政府支援の和食や日本酒ブース等で、「How to Enjoy Sake」と名付けて気軽にご自宅等で日本酒を楽しむ為の秘訣等をセミナーしたり、日本酒の新たな提案として日本酒カクテルの簡単なレシピ等も紹介しています。

教育事業は、日本酒全体の体系的な知識教育事業ということで、昨年にWSET(Wine & Spirit Education Trust)という世界67カ国にネットワークのあるワインの教育機関で、日本酒講座を設立しました。ぶどうの収穫年によってその品質が大きく左右されるワインとは対照的に、「人の手8割、材料2割」と言われる日本酒独特の技術文化を伝えるべく、各工程の選択やこだわりにおいていかに味わいに影響するのか、40種程の日本酒の試飲を通して学んで頂く内容です。試験講座も含めると、すでにロンドンでは5回、他国ではドバイとニューヨーク、マイアミでも行っており、講師候補の方の教育講座としては日本とポートランドでも3回開催しています。こうしたWSETのネットワークを使って、ワインの教育機関の中に日本酒をいかに位置づけて飲料関係者に日本酒を売ってもらうか、ワインやシャンパン、スピリッツなどのスーパーカテゴリーとして日本酒を知ってもらうかということを目標にしています。今後は、ロンドン校で講師をしながら、更に多くの国々で日本酒講座が設立されるよう、講師の教育や立ち上げのお手伝いをしていく予定です。

社名をMuseum of Sakeと名前を付けた通り、日本酒文化を発信するミュージアムとして事業の自由度は置きたいと思っています。その時の必要性やご縁に応じて活動は広がってもいいと思うので、もしかしたら場所を構えて飲食店なり販売店をやるかもしれないです。それは今後のタイミングで考えていけばいいのかなと思っています。

 

未来への投資

海外に日本酒をどんどん売っていきたいけれど、言語や文化の壁、国によっては流通の問題などがあり容易でないのが現状です。「海外の日本酒ブーム」と言えど、まだ日本国内の製造量の3%しか海外に渡っていないという現実。海外出張をすれば経費もかかるし、PRすればサンプル代もかかってしまう、海外営業が出来る人材の雇用や営業体制の確保、現地での販売を任せられるパートナーとの関係構築など、ある程度の規模がある酒造メーカー様でないと条件が合わないことも大きな壁の一因かと思います。

長期的に腰を据えて、投資として海外での日本酒啓蒙に一石を投じてみようという蔵元様の熱心な想いと、現地で地道に販売活動を支えるローカル人材の活躍が、現状の海外の日本酒市場を創っていると言っても過言ではありません。

そこで、各国のワインやスピリッツ、食のネットワークを駆使して、現地でいかに日本酒自体の価値を高められるか、トレンドや流行にしていって、日本酒ファン層をどれだけ増やせるかが鍵になってくるのではないかと思います。

燃油量や酒税なども含めると、日本酒はシャンパンと同じ位の価格で売られているのが一般的です。720ml瓶が1本5千円から1万円する際に、その価格に変わるブランド力や商品力を消費者に伝えられるか、それは教育次第だと思います。

そういった意味で消費者と販売者への正しい日本酒教育を行い、啓蒙活動をするというのが大事だと改めて思います。

 

乗り越えなければいけない壁

まだ日本酒に対しての勘違いが多く、Sakeというと「アルコールが強い」「二日酔いする」といったネガティブなイメージが先攻しているので、それを覆すのが一番大変ですね。

日本との物理的な距離も大きな障壁です。日本酒は季節感や新鮮さが命なので、寝かせて20年経って美味しくなる訳ではなく、いかに新鮮なうちに飲んでもらうかが重要です。日本とロンドンは船で物が届くのに最低2か月かかり、一回の出航でまとめて大きな量を送る必要がありますし、コンテナを埋める必要もあります。そこからディストリビューターの倉庫に保管され、売り切るまでに、2年3年もかかってしまうとお酒の品質も時間と共に落ちてしまいます。劣化した商品をお客様に届けてしまうのは悪影響です。

しっかりした保管方法、保存期間、飲み方で消費者まで届けられるよう、正しい保管知識や商品状態の確認システムの向上、全体的な市場を増やして流通の回転スピードを早めることが求められます。

でも、課題や困難があるからこそ頑張れます。もちろんネガティブスタートではあるけれど、いくらでもそれは改善の余地があるのではないのでしょうか。日本でも昔ながらの慣習や固定観念が強く、「日本酒はこう飲まないといけない。」と新しい流れが受け入れられづらい現状があります。そう考えると、イギリスの方にしっかりと日本酒の歴史や文化を伝えて、ブランディングやマーケティングの分野などで知恵を借りる事ができれば、日本では考えもつかなかった新たな日本酒のあり方を新たに定義できる可能性があるかもしれません。

 

本当に美味しい日本酒に出会い、感激してほしい

最初は家族の縁というパーソナルな理由から始まったキャリアでしたが、低迷する日本酒業界の現状に対しての危機感や、家族のバトンを渡しながら暖簾を守り、革新し続ける伝統文化に魅せられ、これまでやってこられたと思います。

また、単純に本当に美味しい日本酒に出会い、一飲み手として純粋に感激して、それを他の人にも知ってもらいたい、他の人にも同じように感激してもらいたい、そんな純粋な想いが原動力だったりもします。

 

情熱をかたむけられるものに出会い、強みにする

自分のやりたい仕事をやれることはすごく幸せな事だと思いますし、こんなに情熱をかたむけられるものに出会えてすごく光栄です。

私の場合は日本酒でしたが、皆さんの日常にもそういうものが少なからずあるのではないでしょうか。「自分に向いていないのでは…」「本当にそんな仕事ができるのか?」と遠慮したり怖がったりせずに、どんどん思いついたアイデアや興味のあるものを掘り下げて、自分の強みにしていって頂きたいと思います。

 

 

【編集後記】
「Sake」という言葉は世界中にもかなり知られてきているが、言葉の一人歩きになっているというのが私の実感でもあった。そのタイミングでお会いしただけに、今足りていない部分がどこにあるのか大変勉強になった。そして、「好き」を強みに日本酒を海外に伝えようとするその姿はとてもイキイキとしているのが印象的だった。

 

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