阿子島 文子氏 入社1年半で日本の大手消費財メーカーの現地法人をケニアで設立し、自ら代表として赴任した女性

阿子島 文子氏

【プロフィール】
千葉県出身、1982年生まれ。大学卒業後、国内の製薬会社で営業職(MR)として約3年半勤務。2009年に同社を退職し、JICA青年海外協力隊のHIV/エイズ対策隊員としてケニアで2年間活動する。帰国後、日本の大手消費財メーカーに入社し、海外事業部門に所属して初のアフリカ市場開拓を担当する。入社した1年半後には同社日本からのオペレーションとしては初の在アフリカ現地法人を立ち上げ、そのまま自身が代表として赴任し、現在に至る。

 

 

会社員から国際協力の道へ

大学での就職活動の際、一度は日本の経済を支えている民間企業を見たいと思い、新卒で製薬会社に入りました。しかし、日々忙しく働く中で30代のキャリアやどういう生き方をするのかということを20代でもう一度考えなければと思っていました。

その時の仕事は楽しかったです。薬、医療のことを学ぶこと、ほんの一端ではあっても医療従事者として働くことは大学が文系だった自分にとって、新しく知ることばかりで刺激的でした。また、仕事で関わる人は皆それぞれの分野に精通した人ばかりで面白かったです。仕事を覚えていくことや営業成績の結果としてお給料がもらえることも得意先や会社から認められたことだと思えて励みになりました。しかし、改めて今後のキャリアと向き合った時に、それらだけでは直接的に私のモチベーションやハングリー精神を保ち続けることはできないのではないか、30代になってからの自分の働く意義となるかどうか疑問を持ちました。

このまま仕事を続けていても、おそらく結婚して家族や子供がモチベーションになっていくだろうと思いました。家族が中心になることは素晴らしいことですが、仕事でもやりがいが欲しいし、社会の中で自分にできることがあるのならそれをやり続けたいと思いました。

そこで、大学の時に夢見ていた国際協力分野でのキャリアをもう一度目指したいと思い、JICAの青年海外協力隊に行くことを決めました。現場をまず経験できる協力隊はキャリアの良い第一歩になるだろうと思いました。

医療や健康というものが社会にとっていかに大切かを最初の社会人生活で学んだので、医療分野で国際協力に携わりたいと希望し、エイズ対策という職種を選びました。そして、言葉は良くないのですが、深刻な状況・環境こそ仕事としてやりがいがあるし、学べることも多いと思いました。結果、私が赴任した場所は、ケニアの中でもワースト3に入るHIV陽性率(約20%)で、首都からバスで8-9時間かかる地方の町になりました。そこで2年間生活・仕事をする中で、楽しいことも辛いことも経験し、様々なことを学ぶことができました。

阿子島 文子氏

 

社会を循環させられるようなビジネスをしたい

ケニアに来る前は、いずれ国際機関のような国際協力の現場でキャリアを築いていきたいと思っていました。しかし、実際にケニアで活動する中で、世界中から来た国際協力の専門家やNGOなどの職員、ボランティアと話をする機会も多々あり、色々と考えさせられることがありました。

一方で、アフリカ、ケニアの土地でビジネスに従事する人達ともたくさん交流することができました。開発援助が盛んに行われ、一つの産業となっているような環境の中で、ビジネスを通じて実現可能な社会開発があると知りました。そして、こういう形がさらに発展するように自分もそこに携わりたいという気持ちが強くなっていきました。

ケニアにいる間は迷いがありましたが、協力隊を終えて帰国し、日本社会から支えられてアフリカに赴任させてもらった自分の状況、そこで得た経験や考えを整理してみて改めてビジネスの道に進もうと決めました。「アフリカの未来のために」と言うと言葉が綺麗過ぎます。何よりビジネス機運の高まるアフリカに日本企業が少ないことが悔しかったし、まだまだアフリカでやれること、それがビジネスになるのではと思えることがいくつかあったからです。そんな時に縁があって現在の会社に入社することになりました。

 

現地法人を設立し、自ら代表として赴任する

(希望する海外事業部門に所属することになり、会社で初のアフリカ市場開拓を担当する。)

アフリカへの進出が会社で承認され、ケニアで現地法人を作ることが決まりました。出張ベースで仕事をしていくと思っていたので、いきなり会社を作るということに少し戸惑いはありましたが、すぐに会社の作り方を調べ始めました。法律も調べて、弁護士も見つけて、あと何が必要なのか手探りの中で進めていきました。日本語でも馴染みがない分野の上に英語の法律用語も分からないし、そもそもその書類が何を意味しているのかさえ分からなかいこともありました。こちらでは話している時にわからない顔はできないので、相手の目を見ながらも手元ではメモを取って後で調べたり、後日メールで送ってもらったりしました。…だから失敗も色々しましたね。

それでもなんとか会社の登記やその他の手続きが完了し、あとは誰が行くのかということになった時、もしかしたら自分が行くのではないかということに迷いがなかったわけではありません。出張ベースで行けるならそれもいいと思っていましたが、現地に会社を作ることになったことから話は変わります。「もし自分が行ったらどれくらいいるのか。」「自分のプライベートの人生設計は…」と色々考えましたね。

でも「この事業をやりたい」という点に迷いはなかったし、やはり現場にいなくては進まないこと、現場にいないと分からないことがあると思いました。誰かがやるとすればやはり自分がやりたいし、別の誰かが行くことになって自分が関われなくなってしまうのは後悔するかもしれないと思いました。

結果、2013年に現地法人として事業を開始するためケニアに赴任して活動を始めました。

阿子島 文子氏

 

アフリカでビジネスをする大変さ

(ケニアで試行錯誤の毎日が始まる。)

ここでは何をするにも時間がかかります。本当に様々な理由で時間がかかるんです。色々と予測して、伝えて、準備していても、結局遅れることの方が多いです。たわいもない理由ばかり。遅れることが当たり前だからこそ、こちらの人達は他人のミス(そもそもミスと思っていない場合も多い)や計画の変更に寛容です。私も受け入れる部分、そうならなくてはと思う部分もありますが、一緒に改善していきたいと思う部分も多々あります。

また、現地法人として拠点を構えると、当たり前ですが企業として色々と義務を果たさなければいけなくなります。その一つ一つの作業が煩雑で時間がかかったり、問題が起こったり、不正な要求をされることもあったりして、事業活動そのものに専念できない環境になりがちです。インターネットがつながらないからメンテナンスの人を呼ぶだけで一生懸命になったり、約束をしていた業者が連絡もなく来なかったり、担当者が休暇や出張のため勝手に協議が延期にされたり、デモや暴動に巻き込まれるのを回避するため念のためスタッフを早めに帰宅させたり。そんな中、地元の会社ではなあなあで回避できることも、日本の企業として正当に責任を果たさなければいけません。

そういった煩雑な業務や遅延を前もって見据え、自分達でできるだけコントロールしなければいけないと思いますが、どうしても遅れてしまうという状況もあります。そういった現状を本社とも共有していき、社内にも理解者を増やしていくことは私の課題ですね。一般的に、日本にとってアフリカは実際の距離以上に、精神的距離が遠いと思います。このアフリカの市場が未知であるだけでなく、むしろネガティブな印象を持っている人もいるということを認識して、わかり易く伝える努力が必要と感じています。

 

ライトパーソンを見つける重要性

アフリカでビジネスをしていく上で、「ライトパーソンを見つける」ということがとても大事だと日々痛感しています。私にとってのライトパーソンとは「信頼できる、ネットワークがある、動かす力がある」というビジネス的なことだけでなく「異なる考えがあるということを受け入れて、理解するために歩み寄りができる人」です。

信頼できる人が「自分たちの思考、何を大切と考え、なぜそれが必要なのかわかってくれている」とは限りません。例えば、どんなに信用があると言われて紹介してもらった人でも、現地のやり方では良いのかもしれないですが、私達のような日本の組織だと受け入れられないことがあったりします。それを理解してもらえるか、歩み寄って対応してくれるかは別の話です。相手は私達の考えを分かっていると思っていたし、私達も相手は分かってくれていると思っていても、蓋を開けてみたら見ているところが全然違ったということもありました。

いくら説明しても分かり合えないこともあります。同じ言語を話していても意図として全く通じない、なぜそれが重要なのか見えてこないことがあります。それは悪いわけではなく、異なる価値観のもとに育ってきたので仕方のないことです。なるべくその背景にある文化や価値観を知る努力はしていますが、理解してもお互い受け入れられないものもあります。あとは出会いとマッチングの問題ですね。

お金を出して外資系の会社とだけ仕事をすればうまくいくかもしれないです。しかし、今は投資段階とは言え、ただでさえ物価の高いケニアで、より多くの人に行き渡る、手に届く製品のビジネスをするには、そこまでのコストはかけられないと考えています。だから中堅クラスの中でも「自社に合ったライトパーソン、会社」を見つけていこうと思います。少しずつですがそういった人、会社が揃ってきてスムーズに進むことも増えてきたように感じます。

また、初めはたった2人のスタッフを雇うだけでもできるだけ面接機会を増やして、現地の人を見る感覚を得ようと思いました。面接をした人だけでも70人以上で、その前の書類審査ではもっと膨大な数でした。

採用の基準では「自分をアピールするだけでなく、聞く耳を持てるかどうか」ということを大切にしています。特に社内の業務の流れは日本流になることが多いです。それを理解して歩み寄ってくれるかどうかは大きなポイントです。とても優秀なケニア人の友人でも外国企業に勤めた時に、「(彼らにとっては)意味のないことを永遠にやれと言われていじめられているのかと思った」と言っていました。

もちろん本当にできる人、自分から率先してやってくれる人は素晴らしいですが、優秀すぎてなかなか会社に残らなかったり、ずる賢かったりするという課題もあります。今のところは完璧でなくても素直でついてきてくれる人を雇用したいと考えています。

阿子島 文子氏

 

最後は自分の考えを信じるべき

どこまでローカルの感覚ややり方に合わせるかという境界線の見極めは難しいですね。ただ、「最後は自分の考えを信じるべき」だと思います。聞き過ぎてはダメだなと、現地に合わせ過ぎてはいけないと思いました。

合わせるところはもちろんあっていいし、知ることはすごく大事なことですが、全部合わせていたら戦えないです。日本人は様々な物・ことに触れて育ってきていると思います。そこで育ったセンスはやはり忘れてはいけないと思います。ケニア人なりのセンスはもちろんありますが、ここに入ってきている物は海外からの物が多いです。しかも、良いものだけが入ってきているわけでもありません。「これが現地のやり方だから」と言われても、それは一回聞きつつも、もっと効率的・効果的なやり方があれば導入できないか考えます。合わせるばかりでも押し付けるばかりでも新しい価値は生まれないのではないでしょうか。

全てのことがそうかもしれませんが、「ローカルのやり方を理解して、日本のやり方を理解して、そこから自分自身で考えて行動する、決定する」ことを大切にしています。

 

アフリカにおける日本のプレゼンス

業界によって全く違いますが、私達が携わる市場では日本というネームバリューや「日本製」を強みとして前面に押し出してもまだ大きなメリットが得られません。そもそも「日本って何?どこ?中国の一部?」と聞かれることも多々あります。アジアでは広くプレゼンスがあるかもしれませんが、アフリカで日本と言えば「車」「機械」くらいでしょうか。だから、自分達の力でこれからネームバリューを作っていくという意識を持っていたいと思います。

 

 

【編集後記】
思うようにいかないことがたまにではなくよく起こるここケニアで、我慢強くありながら果敢に前に進み続ける若き経営者に同世代として大変刺激をもらった。わからないことだらけの中まずはトライアルし続け、自分なりの答えを見つけ出しながら地に足をつけて進む姿が本当にたくましかった。

 

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