北村 英樹氏 日本人としての誇りを胸に中国とインドで現地法人を立ち上げてきた現代の侍(京セラインド社長)

北村英樹氏プロフィール画像

【プロフィール】
鹿児島県出身、1957年生まれ。大学在学中に約1年間の世界放浪の一人旅を行う。新卒で京セラに入社し、入社4年目でシンガポールへ赴任。6年間の駐在の後、再び日本に戻り、10年間海外営業に従事。2002年に中国に渡って現地法人を立ち上げ、約6年間駐在。その後、再びシンガポール駐在を経て、2008年にインドに渡る。現地法人KYOCERA Asia Pacific India Pvt. Ltd.(京セラインド)の立ち上げを行い、従業員45人の代表として現在活躍中。

 

 

世界放浪の旅でインドと出会う

インドとの最初の関わりは1980年に一人旅をした時です。日本を旅立ってシベリア鉄道に乗ってヨーロッパへ行き、アフリカ、アジアと約1年かけて回りました。鹿児島県出身なので旅に出るまでは外国人を見たこともなく、すごく怖かったですが、でも「大学生のうちに何かしとかなあかんよな」ということで、思い切って世界に出ました。

当時はガイドブックさえもありません。とにかく色んな人に話かけて、英語をひたすら使いました。旅人のバイブル「深夜特急」も私が帰った後に出て、あの内容がまさに我々の旅でした。

元々、将来は先生になろうと思っていました。旅に出ると決めたのは、色んな人と話をして、色んな所に行って、色んな文化を見て、「人間とは何か?」を知りたいと思ったからです。そして、そのハイライトはインドと決めていました。それはマザーテレサに会うためでした。先生になるにあたって、一番人のために尽くしている人は誰かと考えると、マザーテレサだと思ったからです。

インドに来たのは旅の終盤だったので、その頃にはもうばりばりで、何をやっても怖くないし、言いたいことは言えるし、今までの自分から大きく変わっていました。そして、マザーテレサのいる「死を待つ人々の家」というところで2週間ボランティアをさせてもらい、ここでずいぶん色んな経験をさせてもらいました。

特に印象的だったのが、仲良くなった20歳くらいの若い修道女が言った言葉です。「なぜこういうことができるの?」というシンプルな質問をしたら、一つはマザーテレサも言っていた言葉で、もう一つが自分には衝撃的でした。「I can see Jesus in their eyes.」。ようは「死んでいく人は神様だ。」と言い切りました。それが20歳の女の子がここで仕える理由と知って、電撃が走って、もう感動を超える次元でした。「俺も何かやりたい。人のためにこの子がやっているみたいに何かできればいい」と思い、「何かやるとすれば、もっと多くの人を養ってあげるような、そういうことができればいいな」と思って、先生ではなく企業を目指しました。

だからこうしてインドに再び戻って来ることができたのは「呼ばれているな」と思いましたね。

北村氏の旅の写真

 

インドは遠いようで実は近い存在

インドへの日系企業の進出は最近一気に増えていますが、中国とは桁が違います。伸びていると言いながらも、まだ1000社ちょっとです。

なぜそんなに差があるかというと、やはりインドのイメージが悪いからですかね。インド人は見た目が日本人と違うから、自分達と違うとつい思ってしまいます。しかも多くの日本人はインドをなめています。「汚い、すぐ騙してくる、牛が道を歩いている」といったイメージが普通でしょう。

その点、中国人は見た目が日本人と似ていますし、食事も中華料理があって身近に感じます。近づきやすくて仕事もしやすいと思うんです。しかし、それは大きな間違いです。

中国で6年間やってきて、特に人を使うことに関しては多くの苦労をしました。中国人というのは、もちろん全員ではありませんが、自分のことばかり考えがちです。メンツというのを大事にするし、メンツを潰すということが日本の感覚と全然違うレベルにあって、潰してしまうともう大変です。ビジネスなんか一切できないし、ここでは言えないとんでもないことを裏でやられることもあります。人気マンガ「島 耕作」の世界は本当です。日本人は結構なめて来て、はまってしまいがちです。華僑(中国人の海外居住者)はまた別ですが、中国にいる中国人は我々とは全然違うと考えなければいけません。

一方で、見た目も文化も一見全く違うインドは、実はものすごく日本人に考え方が近いです。中国では私の意思が通じる営業組織を作るのに2年かかりましたが、インドでは2か月です。

インド人は日本人的なやり方をやってもほとんど受け入れてくれます。また、インドの国自体が外国みたいなもので、州によって文化も言葉も色々違ってきます。なので、すでにグローバル的な感覚が身についていますし、かなりの人が英語を話せます。実際、世界ではインド人が多く活用されています。世界の名だたる大企業のトップにもインド人が多いです。シリコンバレーにインド人がいなくなったら成り立たないという話は本当だと思います。

日本と歴史的な問題もないですし、日本はインドと組むといいと思います。そして、インド国内はもちろん、中近東やアフリカもインド人と一緒にやっていくのがいいです。アフリカには多くの印僑(インド人の海外居住者)がいて、実際私も印僑絡みでアフリカに何回も行ってビジネスをするようになっています。彼らとは「日本の技術力」と「インドのネットワーク」でもっとビジネスを拡げていけるのではとよく話しています。

 

グローバルマネジメントで大事なこと

インド人に限らず、マネジメントで大事なのは「あなたを信用する」ということです。というより、そうしないとやっていけないです。「悪いことはしないよね、あなたを信用しているから」という雰囲気を作るしかないです。

ビジネスを伸ばそうと思うと営業に走らなければいけないですが、社内で様々なことが起きます。その時に、任せる人がいなかったら自分自身が残らないといけないです。そんなことはやっていられません。だから、社内に残せるような人間を育てるしかないのです。No.2、No.3の二人でいいので、いかに現地の人で信頼できる人を持てるかです。日本人はすぐに帰国しますし、何より現地の人は現地の人しかまとめきれないので現地の信頼できる人が必要です。

そのためには、「私はあなたのために一生懸命やっている」という姿勢を行動で見せ続けなければいけません。「変なことするなよ。」と言ったって変なことをする人はいるわけで、そうすると「あの人を裏切ったらいけない」と思わせるしかないです。だから現地の人のことを小馬鹿にする人達にはできるわけがないんです。「現地のために死んでもいい」と一生懸命行動するしかないです。

海外でマネジメントをするのはしんどいです。日本だったらそんなこと考えなくていいじゃないですか。でも、その姿勢を見せ続ければどこに行ったって必ずやってくれます。国境はないです。国境は超えます。

自分で評価はできませんが、それでも他の会社よりは社員の心を掴んでいると思っています。うちの会社は離職率がとても低いです。簡単に辞めないし、辞めさせないです。給料もそんな高くないし、仕事が楽ということもないですが、それでもずっといてくれるというのはやっぱりいいのだろうと思っています。

長いこといるというのも逆に問題なのかもしれませんが、それでも私は長くいれる環境をできるだけ作りたいです。ダメだったらすぐにクビにするというやり方は、日本人としては通用しないのかなと思います。それは日本人の特性ではないというか、日本人だったらもう少し違うやり方があると信じています。日本人は仁と義を大事にしてきた民族で、やっぱりやさしいし、正しいことを正しいという人間だから、それは必ず伝わると思うのです。

だからうちの会社では「ICU」という言葉を大切にしています。この6年間、もうしつこいくらい皆に言っています。一般的に言うと「Intensive Cure Unit」という病院で使われる言葉ですが、うちでは「I Care You」として使っています。人を大事にしてほしい、色んな人をケアしてほしいという意味を込めています。お客さんに対しては当然ですし、社員同士も含めてとにかく周りの人をケアできるような人間になってほしいのです。

北村氏の仕事風景の写真1

 

真のグローバル人材とは

世界経済をこれからけん引していくのはインドとかアフリカとか、ようはタフな環境が待ち受ける場所です。

インドに来て「早く帰りたい!」と愚痴をこぼす人も多いけれど、確かに環境は厳しく、商習慣は異なり、イラつくことがたくさんあります。言っていることとやっていることが違うし、やると言ったことをやらないし、あらゆる面で「超」が付くほどルーズです。下手したらいつ悪いことをするかもわからない中、「悪いことするなよ!」と言いながらも「みんなで頑張ってやろうね!」と言わなくてはいけません。

しかし、それは新興国ならどこも一緒です。大事なのはそれでもどうやって仕事をしてもらうかの話です。それには我慢がいるし、戦略もいるし、情もいるし、そういうのを全て使いながらやっていくしかないのです。そこでキレてしまったらどの新興国でもできないです。そういう厳しい環境である新興国で、自分の力をフルに使って活躍できる人材が私の定義でいうとグローバル人材です。

私はインドに来た瞬間から「定年まで俺は日本に帰らない。」とお客さんにも社員にも言っています。今は「7年目」と言うだけで、「あ、こいつは本当にインドでやろうとしているんだな」とわかってもらえるようになりました。信用を何から得るのかと言えば、やはり覚悟や志、情熱だと思います。それを行動で相手に感じてもらって、「こいつは本気だな」と思わさない限りビジネスは広がりません。

 

日本の品質へのこだわりを忘れないでほしい

中国・韓国勢はここで骨をうずめるくらいの気持ちで来ているから、覚悟が全然違います。特に韓国は国内市場だけでは食っていけないから世界に出るしかないです。そこに国のバックアップもあります。昔は日本もそうで、アメリカに出向するということは「そこで命を捨てて来い」という勢いでした。それが今の中国・韓国なのです。(それだけ日本が豊かになったという証拠なのですが。)アメリカが日本にぼろぼろにやられたように、今度は日本がやられる番かもしれないです。

でも、日本の技術はまだまだあります。価格の世界で競争してはダメです。我慢してでも日本人としての心を残して、品質を絶対妥協しない世界を守り続けなければいけないと思います。

例えば、日本の新幹線は優秀だけど高いから売れないというのは、確かにそうかもしれないです。でも、人の命に関わる技術というのは1年2年の世界ではなく、10年20年30年と続かなくてはいけない。その技術が安く済むわけがないです。むしろそれを認めるような世界を作り上げていかなければいけないと思います。安くする方向は他にもあるから、品質を落とさないで安くする方向で日本人は頑張るべきです。日本人の品質に対する匠的なこだわりは、いつかわかってもらえる時が必ず来るはずです。

北村氏の仕事風景の写真2

 

志を持って海外へ出る日本人が増えれば絶対勝てる

あとは海外に本気で打って出る人がいるかどうかです。今の状況はそういう人がいないだけだと思います。すごい戦略を考えたり、すごい製品があったりしても、売る人がいなかったら何も売れません。

仮に「私がやってみせます、本社はバックアップしてください。」と言える人材が出てきても、今の日本は本社もなかなかバックアップできていないです。分からないし、遠いし、特にインドなどは日本だけにいる人はわけがわからないと思います。ろくなことが起きないんです。だけど、新興国というのはそういうもので、難しいのが当たり前です。

日本は安全な所だし、何をやってもだいたい大丈夫です。そんな日本で「勉強して知っています!」とかそんな甘いもんじゃないです。実際に海外に出て、色んな人を使って、泣かされ、騙され、そういう経験をして初めてわかります。

日本は豊かになり、現在の暮らしのままでもいいのかもしれないです。でも、「日本人としてそれでいいのか?」と思います。このままでは人口は少なくなって経済は停滞します。「日本製はすごく品質いいよね!」と世界で言われる事もなくなっていきます。「日本なんてあったっけ?」と言われるでしょう。

やはり志だと思います。人さえいれば勝てます。

 

日本人としての誇り

日本人が評価されるのは「やると言ったら原則やる」ところで、それは実はすごくて、世界では「えー!」というくらいすごいです。「一度言ったら絶対やらなくてはいけない」という、強迫観念も含めてそれだけ責任感があるというのは他の国ではありえないです。

そして、気配りとか心配り、思いやりというのは日本人は超一流で、これは絶対に負けないです。東日本大震災の時もあれだけ大きな被害があっても理路整然としてみんなで助け合い、略奪が起こるわけでもないし、金庫が流されてもほとんど持ち主に戻った。世界ではありえないことです。数万人の人が亡くなってしまうとても悲しい出来事でしたが、世界に日本人はすごいと言わしめたと思います。日本人というのはどれだけ大きな災害があっても、みんなで助け合いながら感謝の気持ちを持って歩んでいける。それを世界は目撃しました。

人を思いやるということは自分をちょっと押さえないといけないのですが、これを日本人というのは根本的にDNAとして持っています。その日本人ならどこに行ったって通用するはずで、大手を振って出て行ってほしいです。

そして、かっこいいなと思える日本人が世界の色んな分野で増えてほしいです。特に若い人達が、将来「かっこいい!」と言われるような生き方をしていってほしいんです。

でも、機会がないと覚醒できない若い人がいっぱいいる。だからこうして若い人達が来る時は一生懸命話をします。今の私の使命みたいなもんですね(笑)

 

 

【編集後記】
約20年を海外で過ごし、中国とインドでは自ら現地法人を設立してその代表としてビジネスをしてきた北村氏。その経験から語られる言葉には多くの苦労と成功がにじみ出ていて、一つ一つの言葉に何度も鳥肌が立った。35年前に自分と同じく世界を放浪して、こうして世界を舞台に戦っている先輩の話を聞いて、自分は旅の後何ができるのかと深く考えさせられるインタビューとなった。

 

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One comment

  1. 世界一周して京セラに入ったのは知ってますが、御活躍ですね。死を待つ人の家は行きましたが、ホルマリンの臭いが印象的でした。ガンジス川、ガート、ガンガーも幻想的でした。

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