高住 正幹氏 スペインで豆腐を作り続けて28年 【プロフィール】 鳥取県出身、1957年生まれ。25歳の時にステンドグラスの勉強のためにイタリアに渡るも、ヨーロッパ放浪中の出会いがきっかけでスペインに住み出す。アルバイトをする中で豆腐販売の可能性を見出し、86年にToofu Ya S.L.を起業。豆腐に限らず、油揚げや納豆など幅広く大豆加工製品の製造・販売も行っている。現在はスペインだけにとどまらずヨーロッパ各国への販売も手掛け、工場も移転して生産能力を向上させて更なる販売強化につなげる。 きっかけは旅人達との出会い 初めはステンドグラスを勉強しようということで日本を出て、イタリアに行ったことがきっかけです。イタリアに3か月ほどいて、2か月間ヨーロッパの電車が乗り放題のユーレイルパスと地球の歩き方を持っていたので、イタリアのベニスを出発してオーストリアや、ドイツ、オランダ、ベルギー、デンマークなどに行ってみました。物見遊山的な部分もありつつ、いいステンドグラスがあったら見てみたいということでとにかくふらふら歩いて、特に教会を見て歩きました。お金もないような旅でしたが、列車は乗り放題なのであちこち行きました。 そして、フランスのパリから次にどこに行こうかと思っていた時、1月の終わりくらいだったので卒業旅行の学生さん達がバックパックでいくらか来ていました。あの当時はそういう旅をしているアジア人はほぼ日本人だったから、お互いに声かけたり声かけられたりして。そして、パリのノード駅にいたら、スペインに行く3人くらいの日本人に声をかけられました。それで、自分も行こうかなと思い、ふっと電車に乗ったのがスペインに来る最初のきっかけでした。 マドリッドではみんなでペンションみたいなところを借りて住みました。ちょっと食事に行こうということでバール(居酒屋)に入ると、おいしくて安くて最高でした。他の国と違って食べ物が目の前に並んでいて、「これ!」と指差せばそれを出してくれる。ビール一杯が日本円で30円とかの世界。しかも何か飲み物を頼むとタパスという日本で言うおつまみが必ず出てくるわけ。それこの国を気に入ってしまいました。 スペインいいなと思っていたら、みんなはポルトガルに行くというので、自分も行くことにしました。そのポルトガルに行く電車の中でまた新しい日本人と出会いました。彼はマドリッドのレストランで調理担当をしていて、ポルトガルにはパスポートの切り替えのために行くとのことでした。一回スペインから出てまた帰ってくると3か月いられるのです。 その彼がポルトガルに着いてから「手紙を彼女に書いたので郵便局に出してきます。」と言って出て行きました。しばらくしたら帰ってきて、「路面電車に乗ったらスリにあって全部盗まれちゃいました。パスポートも盗まれたしお金も盗まれたし、全部盗まれちゃいました。」と言われましてね。「そりゃ大変だ。明日大使館でパスポートを作れるようにしてもらおう、お金は貸してあげるから。」ということで、翌日大使館に行って彼はなんとか帰れるようになりました。 一方で自分は他の人達ともう少し周辺都市を回って、最後はモロッコに行くことにしました。モロッコから帰ってきてどこに行くにしてもマドリッドは通るだろうから、彼のレストランに行くと約束して別れました。 モロッコのカサブランカまで行って、約束通りマドリッドの彼がいるレストランに戻ってきました。すると、そこの経営者から「ヨーロッパで何しているんだ?」と言われて、「ステンドグラスの勉強に来たんです。」と言ったら「おおー!」となって。実は彼も絵を描いていて、画家を目指した人だったのです。そして、「スペインにもいっぱいステンドグラスあるから、イタリアに帰るんだったらここで勉強すればいいじゃないか。」と言ってくれて、「皿洗いやって、生計立てたら?」なんてことまで言ってくれたのです。それは願ったり叶ったりで、トントン拍子でマドリッドにいることが決まりました。 起業のきっかけとは こうして道が決まって皿洗いもさせてもらって1か月近くいさせてもらった頃、経営者の奥さんが出てきて、いきなり「これ以上は雇えない。」と言われてしまいました。皿洗いが下手だったわけではないし、僕は一生懸命働いていたのですが、経済的な理由ですね。 でも、居心地いいし、語学学校も行き始めていたのでもっといたかったです。そこで、そこのレストランが従業員のためにアパートを借りていたんだけど、そこを間借りさせてもらっていたので、そこにお金を払ってそのまま半年くらいいさせてもらいました。 しばらくしてレストランに食材を卸していた人から、豆腐を作る人がいなくなるから誰かいないかと話がありました。それで「よくわからないけど行ってみるだけ行ってみます!」と言って行ったら、その日からとにかく何でもかんでも教えられてこれからも行かないといけない状態になってしまいました。 最初は一日20丁くらい作っていましたが、作ればどんどん売れていきました。教えてもらった方法だと固い豆腐しかできないので、なんとか柔らかくしようと工夫もして日本人の口に合うような豆腐を作れるようになると、さらにどんどん買ってもらえました。「これはひょっとしたら起業するにはおもしろいかもしれないな。」とそこで気づいたのです。 私の両親と家族のように付き合っている豆腐屋さんが故郷の鳥取にあり、その人に「こういう作り方でこういう豆腐を作っていますが、もっと楽に作ってもっと数ができるようになったら豆腐屋として成り立つと思うんですけど。」と相談をしました。そしたら「簡単な機械を2~3台入れれば楽になるし量産もかなりできるようになる。今あなたがやっているのは明治時代の初期くらいの作り方だよ。」と言われてしまいました。 そして、色々教えてもらえることになって、豆腐の作り方だけでなく機械屋さんを教えてもらって全部選んでもらったり、マドリッドにもわざわざ来てもらったりと1年くらいの期間が過ぎました。機械もいよいよスペインに着き、工場も買ってしまい、、、それが起業のきっかけでした。 いよいよ軌道に乗る おいしい豆腐を作れば日本人がすぐに買ってくれました。日本の景気もすごくいい時期だったので、とにかく海外進出のブームで大きな企業、特に商社は全部マドリッドにあったし、銀行関係の大きいところも全部ありました。一番いい時でしたね。 その頃知り合ったスペイン人の妻が配達とか伝票とかもやってくれて、しかも車の運転もできたので宅配もすぐ始めました。あっという間に豆腐屋ができたという噂は拡がり、お客さんには困らなかったです。口コミだったり、今でもそうだけど大使館が注文してくれたり、航空会社さんだとか、旅行会社さんとか企業単位でも買ってくれました。 とにかく日本の豆腐屋と同じメニューにしようと思ったので、がんもどきとかこんにゃくとか、納豆はもうちょっと後になるけども、あとは油揚げも揃えました。 現地採用の苦労 当初は夫婦二人でやっていましたが、しばらくして従業員が一人必要になってきました。そこで、若いスペイン人の男の子がよく仕事するだろうと思って雇ったのですが、大変でしたね。仕事しようという心構えでくる若い人はなかなかいませんでした。何人も変えて、最後にいい人が出てきましたが。それでも1年とか2年働いてくれたくらいです。その後も長続きしたのは2人くらいですかね。やはり若い人はすぐ辞めてしまいます。 そこで、ひょっとしたらおばちゃんがいいのではと考えたのですが、結果的にこれが正解でした。おばちゃんは本当に最後の最後までいてくれて。20数年間も勤めてくれました。もう一人、その後雇ったおばちゃんもまだ続けてくれています。 今も変わらず人の採用は大変です。スペインがこれだけ不景気と言われていてもきつい仕事はしたがらないのが実状です。 豆腐をスペイン人の食卓に バブルがはじけたら日本人が少なくなってきました。その時にはスペイン人向けにも販売していたからよかったのですが、あの時日本人だけに頼っていたら今はどうなっていたかわからないです。スペイン人に健康食品として豆腐を売りたいという注文が多くなりました。そこで、「豆腐をスペイン人の食卓に」をスローガンにスペイン人向けの注文を増やしていきました。 ただ、ヒットする商品やスペイン人に受け入れてもらいやすい商品を作らなければいけませんでした。豆腐単体は味がなく、本当に豆腐を知っている人ならいいが、知らない人はあまりにも味がなさ過ぎるから難しいのです。わけわからないものが出てきたとなってしまうから、何か味をつけてあげる必要がありました。そこで思いついたのが、「最初から味付けしてあげれば、後で味付けしなくていい。」ということで、味の付いた豆腐を作りました。オレンジ、チョコレート味といった変わり種もあります。チョコレート豆腐や豆腐ハンバーグはかなりヒットしたと思います。 マドリッドには日本人が約3,000人いても、スペイン人は約500万人いるわけです。スペイン人に売らない手はないですよね。1回食べてまずいなら買わなければいいんだけど、少なくとも1回は買ってほしいのです。だから、それだけヒットする商品を作りたいなと思います。 ヨーロッパでのオーガニックブーム 今ヨーロッパで豆腐は健康食品とオーガニックのカテゴリーに置かれています。ドイツは特にオーガニックの流れがすごいですよ。でかいオーガニックスーパーのチェーンが2つあり、かなりでかいスペースで全部とにかくオーガニックです。それがすごい勢いで、しかも普通のスーパーとそんなに値段が変わらないのです。すごいですよ。 うちでもドイツはフランクフルトとミュンヘンの日本食料品屋さんに出しています。ただ、ドイツ人向けにも出したいなというのが今の目標です。今まで叶わなかったけど工場を拡げることになったので、量ができるようになってコスト削減もできますし、あとは売りに走るしかないですね。 スペインでビジネスをする難しさ 最初の頃は人が本当にいい加減すぎて困りました。仕入れでも何にしても、納品期間を守ってくれたことがなかったです。豆を頼んでも、包装の袋を頼んでも、包装のパックを頼んでもちゃんと着いたことがなかったです。必ずこちらから連絡を入れていました。まだ携帯もなかったので、やっと担当者につながったと思ったら「あれ、今日だっけ?明日じゃなかったっけ?」と色んな言い訳が出てきてあきれてしまいました。 今だいぶまともになったのはネットが全てになったから。携帯もできて逃げられないという面もありますし。昔は本当にめちゃくちゃでした。 あと、バケーションは一か月必要です。日本人の目からするときついですよね。日本の小学校の夏休みみたいです。会社からしてみると会社を全て閉めるというのはきつい話です。だからそうならないように人のやりくりが大変です。 また、こちらではアルバイトの制度がなくて、正社員として採用しないといけないというのも厳しいです。最初に1か月間の見習い期間があるのですが、それを過ぎてからは辞め方次第ですぐに裁判になってしまいます。 海外にいるからこそ感じる日本の良さとは 日本は他の国のものを真似するだけでなく、さらによくしてしまうのが本当にすごいです。ピザでも日本のピザほどおいしいものはないと思うし、ラーメンにしても日本のものじゃないけどすごいですよね。カレーライスだって元々は日本のものじゃないですけど、もう国民食ですからね。研究心と向上心、ライバル心だと思います。いいのか悪いのかわからないけれど、とにかく競争させてしまいますからね。 あと、昔久しぶりに日本に帰った時に思ったことです。成田に着いて、東京から新幹線に乗って新大阪経由で鳥取に帰る時のことです。車両の自動ドアが開いて、売り子のお姉さんが深々とお辞儀をして、「安倍川餅の~」って丁寧に言った後売り歩いて、後ろのドアで誰も見てないのにまたお礼と深々とお辞儀をして出て行ったのです。「ああ、これが日本だ!」と思いましたね。海外でそんな丁寧なことは絶対ないです。それこそ「買うんだったら買って。」という感じでぶら下げて歩くだけです。 「どうもありがとうございます。」とか「ご迷惑をおかけしました。」とか、礼に始まって礼に終わるというか、こういうことが日本の文化なのかなと思いました。日本に住んでいると気にならなくて、「ああ、お姉さんが来たな。」くらいにしか思わないでしょうが、何年か日本にブランクがあって見るとびっくりします。今でも忘れられないですね。 日本人の至れり付くせりは本当にすごいですね。本当に日本が嫌いで出て行くなら別ですが、日本にいるのも嫌いじゃない人だったら日本が一番快適でしょう。 【編集後記】 28年間もの間、大豆加工製品一筋でビジネスを行い、いかにスペイン人と日本人の口に合う商品を作り上げるか試行錯誤した日々が垣間見れた。日本とはビジネス環境も違う、情報も少なかった中であえて現地で勝負を挑み続けてきた歴史は何物にも変えられない強みと感じた。 グローバル人材 スペイン マドリッド ヨーロッパ 海外で働く 海外企業家 社長 起業 食品製造業界 2014-11-03 yohei Share ! tweet