伊藤 淳氏 ウガンダで人材育成コンサルを行うWBPF Consultants. LTD 代表

伊藤 淳氏

【プロフィール】 神奈川県出身、1982年生まれ。2005年に上智大学を卒業し、外資系コンサルティング会社アクセンチュア株式会社に入社。入社5年目で社内のCSRプログラムの一環でアフリカのケニアでNGO団体へのコンサルを行い、それ以来アフリカでのビジネスに興味を抱く。2013年末にアクセンチュアを退社し、ケニア・ウガンダでのビジネス調査を経て、2014年6月にウガンダで人材育成事業を主軸とするWBPF Consultants. LTDを立ち上げる。

 

 

海外への憧れ

大学に入った頃からグローバルに働くことに憧れていました。ただ、英語はほとんどできなくて、会社に入るまでに留学をしようとロサンゼルスであった学生向けのビジネスセミナーに数か月行ったり、カナダの語学学校で2-3か月勉強したりしていました。それでも英語ができるようになったというよりは慣れたというレベルです。

会社に入った頃は、英語の仕事をやりたいと言い続け、ミーティングの議事録を取るなどしていました。今から考えるとビジネスできるレベルでは全くなかったのですが。

 

アフリカでのビジネスに興味を抱く

入社して4年目にスノーボードで大怪我をして、2-3か月間仕事から離れました。すごく痛いし、動けないし、仕事で大迷惑をかけるし、最低ですよね。ただ、そこで色々自分の今後について考えました。

一つは、自分のやりたいことをもっとやろうということです。怪我をしたことでできなくなることが色々あると気づき、人生をもっと楽しまなくてはと思いました。
もう一つは、迷惑をかけた自分を気にかけてくれる友人や同僚からの優しさに触れるうちに、人の役に立つことを自分ももっとしたいということでした。

会社に復帰した後、以前から興味のあったVBP(VSO Business Partnership)に応募しました。アクセンチュアのCSRプログラムの一つで、発展途上国のNGOや政府機関、国際機関などに社員を派遣して、人材の育成を行うことで社会貢献を果たす活動です。これに2度目の応募で受かり、アフリカへ行くことが決まりました。

同期となるVSOボランティアのメンバーは15名。自分以外の全員がネイティブレベルの英語力を持った外国人で、ケニアの人々も(公用語なので)当然英語が話せます。私がアサインされたNGO団体もフランス人やイタリア人、オランダ人、ケニア人など様々な方が関わっていたため、彼らをマネジメントしていくのはすごく大変でした。
そんな状況で9か月間も活動したので、英語力も仕事の力もどんどんついていきましたね。特にダイバーシティの中でのコミュニケーションというのがすごくできるようになりました。

そして、帰って来る頃には、「海外で働く=ヨーロッパ・アメリカ」ではなく、大きく変わってアジアやアフリカではないかという勢いが強くなっていました。

伊藤淳氏

 

帰国後の変化

ケニアから帰ってきた後に大きな変化が3つありました。

1つ目はグローバルに仕事ができるようになったということです。英語ができるようになったということもありますが、様々な国を広く見ることができるようになったということです。

2つ目は「社会起業」に興味を持ったことです。SVP(Social Venture Partners)東京という団体に入って様々な国内外の社会起業家の方と知り合いになり、世界がどんどん広がりました。この分野はすごく面白いと思いましたね。

3つ目はアフリカにすごくポテンシャルを感じたことです。ただ、それを共有できる人がいなかったので、どこに行けばそういう人達と会えるのか手探りで、「アフリカ」が付くセミナーに色々行きました。また、自分でもアフリカビジネスセミナーや勉強会をやってみるなど、とにかくアフリカの面白さを独自に突き詰めていくようになりました。

 

アフリカに入る覚悟を決める

アフリカにポテンシャルを感じて、大きな夢を語っていても、その夢に向かって自分が最初に何をするべきなのか、具体的にどうやってアプローチするのかが分かりませんでした。

そこで、自分ができることは何か一回洗い出したところ、40個くらい出てきました。民間企業で行く、日系企業で行く、グローバルな企業で行く、現地企業に採用されるなどの手段がありました。
実際、例えば現地企業だったら100枚くらいのCV(履歴書)を送りました。ナイジェリアやケニアで活動する企業にです。結局、ほぼ返事は帰ってきませんでしたが。。また、例えばJICAで行くなら調整員、大使館の草の根活動があります。聞いてはいたけれど実際のところ何をするのかよくわからないので、周りの友人に働いている人をどんどん紹介してもらって、その方々とスカイプをする事で、より具体化していきました。

こうして自分の役割ややりたいことが合っているのかを色々すり合わせしましたが、それでも結局あまりピンとこなかったです。

そんな中、アクセンチュアの仕事としてアフリカに行ける機会を知りました。ただ、グローバルなプログラムで日本人にも枠は開かれているものの、調べれば調べるほど、実質、日本人には参加が非常に困難なプログラムでした。それに何とかして行けないかなと思って様々なロビー活動をしました。そして、1年くらいかけて下地作りをして、何とかチャンスを掴むことができました。それが2013年です。3か月だけだったのですが、ケニアで医療系のサプライチェーンの拡大戦略を作るという仕事をうちが請け負って、それのプロジェクトマネージャーとして行きました。

この経験を通して、会社員の立場でアフリカに入っても、“アプローチ”は見つからないのではないか?と痛感しました。それがきっかけで、「これは覚悟を決めて会社を辞めて現地に入るしかないな。」と決意が固まりました。

2013年の末に会社を辞めて、2014年の1月にこちらに来ました。今でも正しいかどうかは分かりませんが、非常に悩んだ末の決断だったので、全く後悔はありません。

ナイロビ

 

ウガンダでビジネスチャンスを探る

アフリカでビジネスをするならこれまでケニアでの経験が長かったので場所はケニアと思っていました。ただ、他の国も見てみたいと思って色々調査をしていきました。その中で縁あってウガンダの友人の手伝いをすることになり、手伝いの合間で約3カ月間ニーズ調査などをしていきました。

当初の仮説として、農業・製造業に関連した分野にチャンスがあるのではと考えていました。
そこで、農業・製造業と実際見ていく中で、内陸国で多くの課題があるウガンダだからこそ、新しい製造業の形があるのでは?と思い、案を作り上げていきました。 現地で仲良くなった友人に現地の製造業の方々を紹介してもらって実際に話を色々聞きに行きました。最初のうちは皆さん話だけは聞いてくれます。それは日本人だからです。「製造業、日本人」と言えばアポイントはもらえました。ただ、「で、結局お前何が作りたいんだ?」と言われて、「いや、まだわからないです。」と言う。「もう帰れ!」ですよね。

これではだめだなと思っていた時に、アメリカのMITが生み出したFab Labというモデルがあるのですが、このモデルがウガンダだったらもっと新しいものになるのではと思い、プレゼンテーション資料を作って色々なところを周ってみました。紹介の紹介で周って行って、3か月くらいでだいたい100か所くらいの民間企業、NGO、個人、行政機関に行きました。その中で、1-2か所が本当に興味を持ってくれました。
その一つであるウガンダの行政機関とは昨年の3月から検討を始めました。

また、それはそれでやりつつ、動きがあまりに遅いので、自分でも製造業を立ち上げようと思いました。実際にビジネスマーケットで成立する製造業のアイデアも出て半年ほどの調査もしてみたのですが、結論として、資金面・スキル面などの観点から、今はペンディングにしています。

 

ウガンダ人は仕事ができない!?

こうしてあちこち行脚していく中でよく言われることがありました。それは「ウガンダ人は仕事ができない。」という言葉です。それを掘り下げたことが今の僕のビジネスになっています。

裏付けるデータがいくつもあって、例えばある国際機関のレポートによると、ウガンダの労働生産性がケニアの6分の1、タンザニアの4分の1と言われているのです。
また、要職にウガンダ人がいないという現実もあります。それでは代わりに誰がやるのかというと、欧米人、インド人、中国人達です。ウガンダの場合さらに深刻なのは、近隣諸国のケニア人、ナイジェリア人、南アフリカ人、エチオピア人達がポジションを担っているケースが多いのです。その人達の方が要は「使える」のです。当然、ウガンダ政府としてはウガンダ人の雇用を守らなければいけないので外国人のプロフェッショナルを国内に入れるためのコストを上げているのですが、それでも今のような状況になっているのです。

さらに、今年は4,000万人を超えると言われている人口のうち、15歳以下が半分で、30歳以下が80%弱になりますが、あるレポートによると15~24歳の失業率が83%と言われています。あくまでオフィシャルに仕事についていない人ということだと思うのですが。
大学進学率も10%くらいです。大学に行くということはドが付くエリートです。しかし、トップのマケレレ大学でさえ就職率が20%を切っているのが現状です。

この状況下で、ウガンダにおいて、「デキる社会人の育成が急務」というニーズが浮かび上がってきました。

伊藤淳氏セミナー風景

 

異国の地で仕事を作る大変さ

営業は紹介の紹介で周っています。これがすごく大変です。

ミドルマネージャー層に持って行っても、トレーニングの価値をわかってもらえないことが多いです。ですから経営層にアプローチする必要があるのですが、これが中々厳しいです。 今まで行ったことのない国に行って、お金もないネットワークもない人間が現地企業のCEOに会いに行くことを想像してみてください。普通はアポイントさえまともに取れないですよね。しかも、トップマネジメント層にとって、人材育成は概して優先度が低い経営課題です。ですから紹介や他のアクティビティをしながら繋がりをなんとか作っています。

一人で営業もやって、コンテンツの開発もやって、トレーナーもやって、それのフォローアップもやって、会社の経営もやって、一時期は相当きつかったですね。

それとこちらのビジネス感覚に慣れるのも大変です。
例えば1日3つ4つのアポイントを入れてリマインドの連絡をしなかったら半分は相手が現れないです。もう半分は大幅遅刻です。先日、日本に一時帰国した際に1週間で平均40アポイントを入れましたが、なくなるのはそのうち1-2件でした。しかも(当たり前ですが)事前に連絡が来ます。
現在はアポイントをエクセルで管理して、誰にいつリマインドして、それがいつ返ってきたのかまでチェックしています。

 

感じる手応え

現在、3つの手応えを感じています。

1つ目はサービスとしての手応えです。どんなにいいサービスをしても相手が変わらなかったらサービスとして意味がないのですが、その変わる兆しが出てきたということがあります。

2つ目はビジネスとしての手応えです。会うべき人に会ってしっかりと話をすればすごく反応がいいです。業界も業種も関係なくです。競合となりえるところもまだ少ないです。

3つ目は社会的なインパクトです。まだ半年なので、大幅にポジションが変わるような状況には至っていないですが、トレーニングした相手の行動が変わっていき、企業の中での見方が変わってきています。 また、あるミドルマネージャーはトレーニングを受けて自分が変わった事で、部下にも変わってもらわないと仕事がやりづらくなったと言い、自分の部下にも自主的に伝え始めています。

実際、昨年の半年間で2-3のトレーニングを行い、事業としても成立するとの確信を得ています。

 

自分が心の底から感じたことに真摯に向き合う

最初は途上国にも、アフリカにも、起業にも、人材育成にも関心はありませんでした。目の前のことに真剣に取り組み、そこで得た気付きに向き合い、自分の幅を広げることを繰り返していった結果、様々な出会いがあり、今の自分になりました。

他の方の参考になるか分かりませんが、目の前のことに真剣に取り組み、自分が心の底から感じたことに真摯に向き合うことで、他人の価値観ではなく、自分独自の価値観を築き上げていけるのかなと思います。

 

 

【編集後記】
自分のやりたいことを探し続け、自ら機会を切り開いて歩まれてきたことがひしひしと伝わるインタビューだった。入念なリサーチを欠かさない慎重な面もありつつ、爆発的な行動力を発揮して動き続け、少しずつビジネスを軌道に乗せていくストーリーに大変勇気をもらった。

 

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One comment

  1. 私の知らない、貴殿の過去を知って、凄いなぁ、、って、感心しました。ご自身の価値観、大事にしているものをしっかり確保しながら、目の前の事をコツコツ、やりつづけて下さい。焦らず、諦めず、ほおっておかず、、、何事にも通じますが、特に、アフリカでは大切な心の持ち方、考え方、そして、ノウハウだと思います。頑張って!

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